お知らせ

お知らせ

第3代石巻市国際交流協会会長として、6期12年の長きにわたり一生懸命務めてまいりました久我恵美子と申します。

名誉会長として残ることになりましたので、退任のあいさつというより、これまでどんなことを目的に、何に注意を注ぎ、力を尽くしてきたのかお話ししてみたいと思います。

 協会の活動としては、外国と直接結びついた交流を活発に長きにわたって展開しているところもほかにないと思います。

 また、私が特に依頼を受け、市の発展のための各部の審議員(特に総合計画、男女共同参画、生涯学習、介護保険、異文化交流)を任命されており、石巻市の新しい課題、重要な課題を把握していたので、市への支援となるような事業計画を立てやすかった面があります。

 さらに、2か国(中国・温州市、イタリア・チビタベッキア市)と友好都市・姉妹都市締結をしていたので、国際化進展のための先取りした事業を展開し市に提案、石巻市国際交流の一助になるよう、注意と努力を向けることができました。

 ですので、他では見られない面白い具体的な交流展開をご報告させていただき、あいさつとさせていただきます。

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 まず、最初に取り組んだのは国際交流サロンの設置です。

 市役所移転の推進委員長を務めさせていただいており、市では新しい一つの展開として市民のためのサロンの設置計画がありました。協会でも同じく、長年の懸案事項として外国人のためのサロンの設置があり、会長職を受けてすぐ取り組みました。

 閉店舗を借用し、愛サロンと名付け、土・日の活用で3か月間開設しました。外国人と日本人の交流の場、異文化の交流の場、お茶、生け花、習字、会話、音楽、料理等、みんなのお茶の間の提供です。街ににぎわいをもたらし、外国人と市民のつながりもできました。外国人が石巻に住みやすくなるような提案もでき、サロン設置の事例として市へ提案し、喜ばれ、市の愛サロン設置への一助となりました。市の計画と連携し、または先取りした体験から提案したものです。

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 次に、日米草の根交流サミットです。

 同サミットが宮城県で開催されることになり、1週間で150人ほどのアメリカからのホームステイを県内13か所で受け入れ、文化の交流をしたい旨通知があり、計画の依頼がありました。

 思いっきり心温まるおもてなし、歴史を誇る石巻、北上川文化論。大会の主賓であるホイップホイルト船長ご夫妻や次年度サンフランシスコで開催されるメグミ事務長の目にとまり、一番人気で石巻が選定されました。15名の少年少女と親たちも一緒に受け入れました。受け入れが決定したときは、驚き、うれしさ、光栄で身震いしました。

 石巻の行事は、国宝である雄勝の法印神楽、この日のために中学生による円舞もあり交流しました。雄勝硯館での習字では、「侍」「学習」「美しい」などすばらしい日本語を知っていて驚かされました。婦人部からの招きでバーベキューを。あわび、ほたて、たこ、ハマグリなどがふるまわれ、おいしさと、喜びの元気な声であふれました。

 次の行事は、石巻の川開き花火大会、若人の集い(アメリカからの参加者に和服を着せる)。次の目玉は、上品の郷での牛肉とモチのふるまい、そして、大レストランでファッションショーを開催。当会員が和服を15人分のワンピース、アロハ等の洋服に仕立て、リハーサルなしの晴れ舞台で着ていただきました。その洋服はそれぞれにサプライズでプレゼントし、喜びは絶頂に達しました。

 この事業がきっかけとなり、震災の時、500個の(愛をいっぱい詰め込んだ)カバンを詰めた段ボール200個、チョコレートが段ボールで3箱など、門脇中の体育館を埋め尽くすほどの物資が贈られ、石巻市、小中高へ支援してくれました。翌年私はお礼のためサンフランシスコへ向かいました。

 うれしい便りが届きました。支援してくれたサンフランシスコの高校生、カバン等に励ましの手紙を入れて送ってくれたその高校の卒業生が、東京オリンピックのフェンシングのアメリカ代表選手として出場するとのこと。(公財)ジョン万次郎ホットフィールド記念国際草の根交流センターから交流事業の申し出があるので、心から支援したいと思います。

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 次に、チュニジア共和国との交流です。

 同国大使館を通しての交流の歴史は深く長いものがあります。数えきれない交流と実績がありますが、まずは震災時の支援に深く感謝したいと思います。

 海外から一番乗りで支援してくれました。700人分のお弁当と温かいスープ。渇望していた甘い菓子、果物、一人ずつ持ちきれないほどの支援でした。小雪降る中、協会員も10時から午後4時まで頑張りました。感謝。今でも市民、子供たちもチュニジアの炊き出しのことを語ります。チャリティーコンサートも開催していただきました。

 もっと驚きなのは、第57回チュニジア共和国独立記念日祝賀会を石巻で開催したいとの申し入れです。食材のすべてを調達し、400人分のチュニジアフルコースをふるまっていただきました。また、心病んでいる市民のために音楽でも癒してくれました。あまりにも大きなプレゼントに市長と共に驚き、いつかご恩をお返ししたいと考えておりました。

 その後も当協会ではチュニジアフェアなどで交流は活発。チュニジア大使館での行事も多く、いつも招待され、その都度カイス・ダラジ大使は、会員である新鋭の若きピアニスト・杉元太君にピアノを演奏させてくれました。

 その演奏が大使の心を動かし、チュニジア共和国から招聘され、ピアニスト・杉元太君と海を渡りました。

 震災で受けた御礼を杉元君のピアノでと考えました。独立記念祝賀コンサートは、音楽家の登竜門である海洋アラブ音楽センターで。海に面した広大な公園の中にあるゆかしき建物の会場でソロコンサートを行いました。もう一つは、日本人がテロにあったバルドー博物館の追悼コンサートでソロを演奏しました。追悼コンサートなのに拍手が止みませんでした。

チュニジア訪問時、ハンナシ元大使のご招待で。
独立記念日祝賀会でカスリ大使(当時)と。
第57回チュニジア共和国独立記念日祝賀会が遊楽館で。

 その後も、チュニジア大使館と千代田区主催の「チュニジアを知ろう」や、ノーベル平和賞受賞祝賀会に高円宮久子妃殿下、岸前外務副大臣、各国の大使を迎えた中で演奏させていただきました。若きピアニストは海外との交流の大きな懸け橋となり、さらに大きな冠を付けてもいただきました。

ダラジ前大使や日本チュニジア友好協会の小野会長ほかと。
ダラジ前大使が帰国する前日にチュニジア大使館へお別れのあいさつ。
新年賀詞交歓会にハシェッド・チュニジア大使(当時)が来石。

 ヌルディン・ハシェッド大使はじめ、エリエス・カスリ大使、カイス・ダラジ大使は愛が大きく、こちらで計画しても倍返しをしてくれるほど人間が偉大。私もたくさんの愛をいただき、人生の宝です。

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 次にイタリアのチビタベッキア市と中国の温州市です。

 石巻市はイタリアのチビタベッキア市と姉妹都市を、中国の温州市と友好都市を締結しています。

ご招待いただいたチビタベッキア市長宅前で。
チビタベッキア市長にお土産を渡す。

 チビタベッキア市には世界の豪華客船が必ず立ち寄る港があります。石巻港には1年に客船が1隻来るのも珍しいほどです。

市長宅に招かれてびっくり。山2つ分もある敷地、大きなワインセラー、チーズ、ソーセージ、ハム等は自家製、思いっきりのおもてなしをいただき、ただただスケールの大きさに驚きました。

 ローマ皇帝の迎賓館の間の壁面には、400年前にローマで歓迎されている支倉常長の絵が飾られてありました。石巻ならず日本の最大の誇りです。石巻から出港したのですから。

チビタベッキア市との姉妹都市締結調印式へ向かう途中で。
温州市訪問の際、華々しい歓迎会でシャンソンを歌う。

 帰国後、協会としてサンファンバウティスタ号を石巻に建造した元県知事の本間俊太郎氏から、その熱い思いと歴史について、「慶長使節400年記念」として講演をいただきました。常長も恐ろしい津波を経験した2年後に、石巻から出港しています。震災復興のためにも大切な歴史を市民に伝えました。現代にもこの教訓を生かさなければなりません。

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 温州市との交流ですが、一昨年10年ぶりに訪問したところ、10年前では考えられないほどの発展ぶりです。日本ではおもてなしなどの言葉は現実、厳しく、寂しいものがあります。しかし、こちらでは、客船からの花火、山に反映させる歓迎のロケーション、ここ中国と、いやパリと思わせるような豪華レストランでのフルコース、実に美味、テーブルも花いっぱい。学生オーケストラによる演奏も催されました。お礼に私もシャンソンを歌わせていただきました。

 10年前に温州大学を訪問したときは、当市の石巻専修大学と変わらないくらいだったのに、今はその校舎が1つの学部となり、3大学が合併したとはいえ広大で、さらに美術館まで附設しています。姉妹大学としてどう交流していくのかが課題です。温州市の市長も若く、自信に満ち、これからの交流については教育が大事であると説いていました。

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 5年ほど前から「みやぎのふるさとふれあい事業」を展開しております。

 海外18か国からの留学生などをこれまで130人ほど受け入れています。中国からの留学生は、一人っ子ということもあってか教育は素晴らしくなされており、日本語も英語も話します。海外からの若い力は大きな影響力を持ち、笑顔が石巻の街にも広がり、ホームステイを受けたいと希望する家庭が増え、海外との交流の大きな実績となっています。

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 石巻はチュニジアからのオリンピック・パラリンピックの選手を受け入れるホストタウンに指定されました。

 新型コロナの出現により、これからの海外との交流は新ステージを考えていかねばなりません。力の出しどころ、知恵の絞る時期だと強く思われます。
 震災10年を迎え、石巻の一層の発展のため、市民のための元気なまちづくりに尽力いたします。新会長と会員と共に、愛をもって石巻発展のための国際交流活動、世界平和のために名誉会長としての役割を果たしてまいりたいと思います。

「みやぎのふるさとふれあい事業」では、県内のさまざまな国の留学生がホームステイ(茶室「芳春軒」でのお茶会で)。
震災時、フランスからは激励のメッセージの入った国旗とお菓子が贈られた。クッキーとチョコレートは県庁にも届けている。

 最後に、震災時たくさんのご支援と励ましを頂いた皆さまに深く感謝申し上げます。

・チュニジア大使館
・フランス ルーブル美術館学芸委員長 モワンヌ恵美子氏
・元京都大学学長令嬢 フランス・ユニセフ委員長 昌子氏
・サンフランシスコ ボランティア指導協力 ローラメグミ氏
・Lick-Wilmerding高校
・シャンソン歌手 かいやま由起氏

 退任のあいさつということですが、心に残る活動、命を懸けた一端を述べさせていただきました。限りないご協力をいただきました県、石巻市、海外の友人、市議、市民、協会員に深く感謝申し上げ、役を降りさせていただきます。

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